人が焼かれる街

小さな街、多様な価値

自分自身の「生」を感じるためには、まずは「死」を感じてみたいと思い、ヒンドゥー教の聖地バラナシを訪れた。 

ここでは毎日たくさんのヒンドゥー教徒が荼毘に付されて、聖なるガンジス川へと遺灰が流されている。

ガンジス川から眺めるバラナシ

ここはとても不思議な場所で、火葬場を眺めていると、10分おきにボートの客引きが寄ってきて、「世界一・安い・早い」などと、変な日本語を駆使して、ぼったくろうとしてくる。

こういうのは無視するのが一番なのだろうが、 生身の人間が燃え尽きて灰になるには4~5時間かかる。

暇つぶしにと思って、僕と同年代ぐらいの客引きを捕まえ、
「ここで沐浴をしたいが、水を飲んでもいいかと?」聞くと、お尻を突き出し、オナラをするようなポーズをした。
きっと下痢をするからやめとけ、とのことだった。

また、「神様はどこにいるのか?」と問うと、彼はただ、自分の胸を指さした。

最後に、「輪廻転生を信じるか?」と尋ねてみた。
彼は「僕は信じていない。死んだら灰になって川に流され、魚のエサになるだけだ」と言い放った。
予想だにしない返答に、少し戸惑ったが、これもインドかと納得した。

その後もカタコトの英語と身振り手振りを交えながら会話を楽しんだ。
とても不思議な時間であった。 

翌日、彼の言い値の半額でガンジス川のボートツアーに参加することにした。 

その後も、土産品、お菓子、飲み物などいろいろな客引きが声を掛けてくる。 

ここは人間の終焉の地である。
生涯を遂げたものが、焼かれ、灰となり、聖なるガンガーへ還っていく。
その傍らで、ぼったくり、喧嘩、なんでもOK。

観光客の多く訪れるここバラナシは、儲けるためにはもってこいの場所でもあることがわかった。
この狭い場所に、色々な価値観が混沌と併存しているところが、
最高におもしろい。 

やはり、インドは僕の期待を裏切らないところだ。 

人の「死」に寄せて

赤くメラメラと燃える炎から、これまで嗅いだことのない、甘い臭いがする。 
これが人が焼ける匂いなのか…。 

24時間、絶え間なく人が燃やされている

皮膚が黒く焼け、髪が縮れて、肉が弾ける。
今、まさに僕の目の前で、少し前まで生きていた人間が焼かれているのだ。 
硬い頭はなかなか燃え切らず、頭の部分だけが最後までくっきりと残ってしまう。
すると火葬場の番人は、躊躇なく丸太で頭蓋骨を叩き割った。

血がはじけ飛び、脳みそが転げ落ちた。

そして、すぐに燃えて灰になった。 

不思議と、最後まで目を離すことなく見ていられたことを覚えている。 
これが人としての最期だと思うと、何とも言えない気持ちがこみ上げてくる。 

遺灰は目の前のガンジス川に流された。
その横には、沐浴をしている人や、洗い物をしている人がいる。 

そしてまた、次から次へと遺体が運ばれてくる。 

数日前には生きていた人が、数時間後には灰になり、遺灰もすべて川に流されて、そして完全に消えていく。 

ネパールのパシュパティパート寺院で行われている、ヒンドゥー教の火葬

生は無限ではなく、有限であることを痛感した。 
日々が、否応もなく死へと向かってカウントダウンを続けるタイマーかのように思えた。 
だからこそ、今ある「生」を一生懸命に生きていくことが大切だ、と実感した旅であった。