ルワンダ ムランビ虐殺記念館

ルワンダへ行ったら、必ず行きたかったムランビ虐殺記念館。キガリの1994ミュージアムへも行くが、ムランビのほうがよりリアルに感じる。

この建物は元々ムランビ技術学校(Murambi Technical School )と呼ばれる学校であった。

ルワンダ虐殺が始まった当初、この地域に住むツチ族は地元の教会に避難しようとした。しかし、”丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる”という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、ツチらは学校へ隠れることになった。1994年4月16日、唐突に水や電気の供給が停止された。この時点でおよそ6万5000人のツチが学内に避難しており、食料も水も不足する中、避難民らは自衛のために投石用の石を数日かけて拾い集めている。しかし4月21日の夜半、フランス軍が唐突に姿を消すとともに、学校はフツ系過激派民兵の襲撃を受けた。約4万5000人のツチが校内で殺害され、この日の虐殺を逃れた者の内の大半も、翌日に近くの教会へと逃れようとしたところを殺害された (ウィキペディア引用)

パネル(写真などなど)に英語・フランス語で説明された展示を時系列に見学していくスタイルです。
以前は館内の写真撮影ができたのですが、今は撮影禁止とのことです。
その後、遺体や骨、衣服などが安置された建物群に案内されます.

その建物群にあった頭蓋骨や白骨の骨に対しては抵抗を感じませんでしたが、虐殺された方の無数のミイラが衝撃的です。

母親が虐殺から子どもの命を守ろうとした形跡であろうか、子どもを抱いた母親とその子どもが一緒にそのままの状態でミイラ化していたり、虐殺されたときの血液つきの服をきたままの状態でミイラ化した被害者の方や斧で真二つになった頭蓋もある。

更に匂いがすごい。ご遺体は軽く1万体以上はいるのでは?ここでは5万人程度殺されたとのことなので。

とにかく膨大なミイラの数を見て、あまりの無残さに悲しくなりました。

外側から内部の様子が見える

また少数派のツチ族の女性が家族の前レイプされて更に残酷な方法で殺された話など読んでて辛かったです。生き残った人も未だに後遺症を抱えているとのことで、本当に残虐さが伝わるミュージアムで忘れないためにも残すべき記念館だと思う。

昨日まで一緒に働いた同僚や近隣同士が種族の違いで殺しあうことになる。種族の違いだけであるのに、どうして人は違いを 「間違い」にしてしまうのか?「ま」がつくことで正当化されると勘違いしているのか

ジェノサイドの本当の怖さ

辛いことも笑顔で話してくれた、オーナー夫妻 おまけに工賃もサービスしてくれた。

キガリ市内のバイクショップでオイル交換をお願いする。
オーナー夫妻にムランビ虐殺記念館へ行ってきたと話すと、奥様から話したいことがあるとお茶に誘われる。
奥様のムカさんは、1995年生まれ29歳
”私は父親が誰だかわかりません” ジェノサイドの時に母親がレイプされ、私が生まれました。
小さい時はフツの子と言われ、よくいじめられたと、産んだ母親を恨んでいた時もあったが、自分が親になってわかったことは、自分以上に母は苦しみ、辛かったことを感じた。幸いにも生き残ってもこのような苦しみがある事を伝えたい。何か心が押しつぶされそうな話しだが、今はご主人、子供達と幸せに暮らしていると言っていたので、気持ちが楽になる。

詳細を知りたい方はウィキペディアをリンクしておきますhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%93%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8

ルワンダの轍